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シェレメーチエヴォ空港の思い出

ロシアのモスクワにシェレメーチエヴォ空港がある。アエロフロート航空のベースとなる空港。アエロフロートはおそらく軍事的、外交的な理由だろうけどモスクワからアフリカ各地に便がありました。BAとかAFもあったけど、都市が少なくて、高かったので、結果的にアエロフロートにお世話になることが多かった。ただ旅をする都度、機内誌のネットワークが縮小されていっていました。今はどうなっているのだろう。

アエロフロート航空でt旅をすると、モスクワのシェレメーチエヴォ空港にまず到着します。ヨーロッパビンはその日に乗り換えできることが多かったけど、アフリカ便は通常翌日の便でした。というよりその便に乗るためには前日にモスクワにいないといけない。日本からの便が混んでいたり、年末等日本発のチケットの値段が変わるタイミングでは早くモスクワに飛び、空港に数泊することになります。

映画で自分の国が政変で帰れなくなって空港で暮らさなくなった、という話がありますが、まさに空港で暮らします。今はきれいになったときくシェレメーチエヴォ空港ですが、かつては薄暗くて殺風景な空港でした。次の便までの食事のチケットがわたされます。アエロフロート機内食は(今は分からないけど)けっしておいしくなく、あっさりしたものでしたが、空港のレストランの食事もそんな感じでした。

休む時はベンチに横になります。でも次第に床で横になるようになりました。シュラフをもっていくのでそれにくるまって。インドではないですが、あちこちで似た状況の人がいるので抵抗はありません。もちろんトランジットホテルはあるのだけど、ロシア語でどうやってたどりつけばいいのかよくわからないのと、ただでさえ安くあげようとおもっているところで、空港にいられるならそれに越したことはないことから空港にいました。

空港には世界中からのトランジット客がいました。なかには渡航先のヴィザが有効ではなかったのか搭乗できなくて1週間いる、という人もいた。せっかく長い時間いろんな国の人とともに過ごしたのにお互いにつたない英語なので深い話ができなかったのは残念。今だったらメールとかでそのあともやりとりできたのだろう、と思う。

今は分からないけどかつてロシアはヴィザが取りにくく、インヴィテーションが必要でした。旅程ホテルも先に決めないといけませんでしたが、(もっともヴィザをとれてしまえばホテルをキャンセルすることもできたようだし、渡航してしまえば自由に回れたようですが。)モスクワにトランジットで滞在する場合は、トランジットヴィザをもらえました。半日とか一日とか。それでバスと地下鉄でモスクワを回りました。空港や地下鉄はともかく街はヨーロッパの雰囲気そのままで、明るい感じの人が多かった。まちはランドマークのように四方にほぼ同じ形の巨大な建物があり、ヨーロッパの古都でランドマークになる教会のような存在でした。今はどんな感じかな。

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