Θたけのこ たびの話とか

たびの話、科学の話、読んだ本の話 とか

ドストエフスキー

いわゆる食わず嫌いだったのだけど、「カラマーゾフの兄弟」のドラマを見て、「罪と罰」を読んでみることにした。「罪と罰」という題が手に取りにくい雰囲気を醸し出しているのだけど、読んだところ面白くて、いわゆる5大作品をはじめ他の作品を1か月ほどかけて読んだ。ロシア文学では同じ人の人名が愛称だったり、正式な名前だったり、苗字だったりと、別人だと思って読んでいたら、同じ人だった、みたいなことがよくおこり、筋を追うのがとても難しい。これも小説の個性かもしれないけど、このあたり分かりやすい訳があると、とっつきやすいと思う。

 

罪と罰」(1886)一つの微細な悪徳は百の善行に償われる、という理論の実践のために質屋の女性を殺害した苦学生ラスコーリコフ(ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリコフ)。いわゆる刑事コロンボの原型の刑事ポルフィーリィ・ペトローヴィチによる3度の追及。酔っ払いの娘で家計のために娼婦にさせられているソーニャ(ソーフィア・セミョーノヴナ・マルメラードフ)に恋し自首。シベリア流刑にソーニャもついていく。

 

「白痴」(1868)白痴とされるレフニコラエヴィチ・ムイシュキン公爵は、実業家パルヒョン・セミョーノヴィチ・ロゴージンが好意を寄せるナスターシャ・フィリポヴナ・パラシュコーヴァを好きになる。巨額の相続があるとわかると、なびいてしまい、ロゴージンはナスターシャを殺してしまう。死刑執行までの5分間が無限の時間。ゼノンのパラドクス。

 

「悪霊」(1891)地主ワルワーラ・ペトローヴナ・スタヴローギナの息子ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギンは、欲望に倦む生きる屍。過去に少女を襲ったことをチーホン主教に告白する。社会主義を図る5人を殺人により血で縛らせる。

ステバン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホーヴェンスキー教授の息子ピョートル・ステバノヴィチ・ヴェルホーヴェンスキーは、社会主義をあおる。

欲望、社会主義のふたつの悪霊。欲望の記述のため帝政ロシア期に一部未発表、社会主義者への疑問の内容によりソ連時代に禁書となったらしい。

 

「未成年」(1875)アルカージイ・マワーロヴィチ・ドルゴルーキーは、マカール・イワーノヴィチ・ドルゴルーキーに育てられたが、実父アンドレイ・ペトローヴィチ・ヴェルシーロフとギャンブルで仲良くなり和解。アルカージイが恋するアンドレーエヴナ・ヴェルシーロフは父を禁治産宣告するための相談をしていた手紙が暴露されてしまうと相続が失われてしまうので、探している。

ツルゲーネフの「父と子」を意識した作品らしい。

 

カラマーゾフの兄弟」(1880)放蕩者ミーチャ(ドミートリー)、無神論者ワーニャ(イワン)、僧アリョーシャ(アレクセイ)の3兄弟。ミーチャは父フョードルと貴族的なカーチャ(カトリーナ)や高級娼婦グルシシェンカを奪い合う。フョードルが殺され、ミーチャが疑われ、殺したいと思ったけど殺してはいないが、殺したいと思ったから裁いてくれ、と主張。刑事イッポリートの追及により死刑。真犯人がカラマーゾフ家の料理人スメルジャコフだと気付いたワーニャも、農奴制に嫌気がさし父を憎んでいて、スメルジャコフに殺させるきっかけを作ったのは自分だと自責する。

ワーニャとアリョーシャの議論。神はユークリッド空間しか理解できないように人間を創造した。ワーニャは奇跡・神秘・権威を試させようとすると、アリョーシャは断る。試すこと自体が神への冒涜。

これは13年前の事件、ということで、これからの話が別に予定されていたらしいけど、ドストエフスキーはこの数か月後に亡くなってしまった。アリョーシャが皇帝ニコライ暗殺を企てる、という内容だったらしい。

 

貧しき人びと」(1846)デビュー作。善良な貧乏役人マカール・ジェーヴシキンが恋するワーレンカ(ワルワーラ・ドヴロショーロワ)と手紙をやりとり。ワーレンカの恋する大学生ポクロフスキーは病死し、地主ブイコフと結婚。

「白夜」(1848)ナースチェンカに一目惚れした私。ナースチェンカが好きな人への手紙を託され渡すが、相手がこないので、私と結婚してくれることになったけど、相手が登場し、あっさり振られてしまう。

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