Θたけのこ たびの話とか

たびの話、科学の話、読んだ本の話 とか

・イラン

イラン航空テヘランin-out。ガイドブックはLonely Planetだけ。ペルシア語の会話集もなく、アラビア語の会話集を持って行った。

イラン航空は週1便。行きに出会った日本人の多くと帰りの飛行機で再会した。それぞれの旅。

成田15:45離陸し、まずは北京によってテヘランの空港に到着。計13時間。23時着。いつも以上にまったくどうしていいかわからない。空港から外に出るのも怖い。しばらく茫然としていると、日本語で声をかけられる。アリ。身構える。まあ、空港の中なら大丈夫だろう、と話をする。市内まで連れてってくれる、という。とても悩む。。。日本でよくしてもらった。日本人大好き。。。近くにいた他のイラン人も呼んでみる。あやしければ他の人を近寄らせないはずだ、と考えた。それでも和やかに話をしていて、さあ行こう、ということになった。どうやら同じ飛行機で帰ってきたイラン人の出迎えに来ていて、その入国審査を待っていたよう。

家に入る。家族が出迎えてくれる。食事をいただき、就寝。起きて食事。とてもおいしい。次から次へと客やら親族やらがやってきて一緒に話す(といっても何話しているのかはよく分からないけど)。

アラビア語会話集を見せると興味深々なのだけど、意味が分からない、という。字は同じだから読めるけど、語彙は全く異なるらしい。ローマ字みたいなものなのだろうか。ここでは使えないよ、と。

北東の街マシャドに行きたい、と尋ねると、まだいればいいじゃないか、と慰留されるも、帰りにまた寄ってくれ、という約束をして列車の切符を手配して見送ってくれた。17:20分発の夜行列車で翌朝8時マシャド着までの車内、相席のイラン人。言葉は通じない。食事はどうだ?というしぐさ。任せるままに食事をとる。なぜかおごる形になったような気がする。車窓は見渡す限り礫沙漠。

マシャドは一つの聖地。トゥス。エマム・レザ。

マシャドから南東の街ザヘダンに飛行機で向かう。約1時間。アフガニスタンとの国境の山岳地帯を見下ろす。ザヘダンはパキスタンに通じるルート。この先に向かいたいところ東を見つめる。東からのパキスタンとの国境からのバスから日本人女性が2名降り立った。ヴィザの関係で急いでテヘランまで行く必要があるみたいで、私もザヘダンに泊まらず、少し西のバムまでバスで同行する。結局ザヘダンには2時間ほど。6時間ほどで深夜2時半に到着。バス停で途方に暮れ、動くにも動けず、露天で座っていると、イラン人親子が車で通りかかり、家までおいで、と言う。彼女たとても警戒するのだけど、私はこれまでのイランでの旅の経験も含め、通りがかりの親子で犯罪にからむとも思えず、ついていく。マホメット・アリとハンズ・ジュラリ・マリザッド。彼らの家でやはりとてももてなされる。バムは巨大な町の廃墟があり、そこを案内してもらう。その後の地震で崩壊してしまったそうだ。

丸顔と面長の二人。インドでは面長が受けたが、パキスタンでは丸顔が受けた、という。バスとかで触ってくるので思いっきり殴ってストレス発散している、という。女性が一緒だったので、通常顔を見せない奥さんも顔を出してくれて一緒に話ができたし、台所にも入ることができた。

12時にケルマン行のバスに乗る。3時間で到着。彼女たちはここからテヘランまで急ぐ、ということでここで別れる。ホテルを探し、夕食を食べていると、近くに座っているイラン人が相席していいか、としぐさで言われる。ぜひ家に来てくれ、と言われる。既にホテルを取ってある、というと、キャンセルすればいい、と言う。どうして来てくれないんだ、と泣かれた。ロビーでしばらく話をした。翌朝が早いし、ちょっと落ち着きたかったので今夜はホテルに泊まりたかった。

翌朝6時半発のバスに乗ろうとすると、前夜の彼がホテルに既にいて、袋にいっぱいの果物をくれた。ザクロとかリンゴとか・・・

12時ヤズド着。タクシーでゾロアスター教の鳥葬の塔を見る。特に誰もいない死者のおかれる場所を一人で歩くのは少し怖かった。周囲は砂でできた廃墟と砂漠の中にところどころオアシス。19時半にシーラーズ行のバスに乗る。

8時間半でシーラーズに到着。シラーズから1時間マルダシュに着くと、ペルセポリスの遺跡がある。ペルセポリスの遺跡は大きな保全のため屋根で覆われていて興ざめではある。そこで行きの飛行機でであった一人ともう一人の二人の日本人男性と会う。ナクシュ・ロスタム。日本人ツアーバスも来ている。交通が分からず、奥の遺跡パサル・ガダエまで連れて行ってもらう。タクシーで戻ろうとすると、なぜか家にいってしまう。どうやら礼拝のようだ。ちょっと食事をいただく。

マルダシュからシーラーズに向かうバスで隣の席のイラン人モハメッドと言葉は通じないが会話。バスで1時間の食品(ピクルス)工場で働いていて、家に戻る途中。なりゆきで彼の家に行く。言葉が通じない、たまたまで悪巧みはないだろう。子どもたちもいる。片言の英語で会話してくる。つい2泊。サディ廟、ファーディス廟を案内してもらう。友人やら親族やらがいれかわりたちかわり訪れる。なにげない日常生活を一緒に過ごすことができたのがとても嬉しい。 

名残惜しまれつつ夜行バスで8時間半イスファハンに向かう。深夜に着いてホテルに泊まる。イスファハンのモスクはとても青くきれい。カーペットを物色。

深夜バスで5時間半テヘランに戻る。深夜着。バスからさ~っと人がいなくなる。一人取り残される。行きにあずかったアリの電話番号にどう連絡するか悩んでると、近くのイラン人が携帯電話で連絡をとってくれた。まだ日本では携帯電話が珍しかった時期。なんだかよくわからないけど鉄道駅まで来てくれ、ということでタクシーで向かう。もう朝。そこで迎えに来てくれていて、彼の家に向かう。眠りたいけど、親族が次から次へと訪れお話。その後、いろんな家に招待される。そんな感じでテヘランの街を2日回る。

空港まで送ってもらう。16時空港。お別れ。22時45分離陸。帰りは成田直行で9時間半。

帰りの飛行機で、行きの飛行機で隣だった女性は、イラン人の友人に会いに行くと言っていたけど、長い黒髪だったのに脱色して短髪パーマになって、イラン風メイクをしていた。結婚することにしたらしい。

別の男性もあちらこちらでイラン人の家に泊めてもらったらしい。

今でもこんな旅ができるのかどうか分からない。一方で今では日本語のガイドブックもあるし、イラン人に頼らなくても旅ができてしまうと、こんな関わり方もできないのかもしれない。

12日間。

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