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三島由紀夫

「豊穣の海」 Mare Foecunditatis 月の海

本多繁邦が左脇に3つの黒子のある友人侯爵家の松枝清顕の20才ごとの転生を追い続ける。1894年生まれ。

 

「春の雪」松枝清顕は、「何か決定的なもの」を欲しがっている。松枝清顕が洞院宮に嫁ぐことになった幼馴染の綾倉聡子を求め、聡子は出家し、清顕は病死。「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で。」と本多に言い残して。

恒に転ずること暴流のごとし。阿頼耶識(訳して蔵)。水の激流するごとく、つねに相続転起して絶えることがない。

胎蔵界曼荼羅金剛界曼荼羅と相対して、蓮華の花により表象され、慈悲の徳をあらわす。胎蔵は、世間の賤しい女の胎に輪王の聖胎を得たように、凡夫の煩悩汚泥の心中に諸仏の智悲の功徳が含蔵せられていること。

奔馬」松枝家の書生だった飯沼の息子飯沼勲。「神風連史話」に感化され、リフレ対策(統制インフレ)が最初は農村救済、失業対策として誰も反対を唱えられないうちに軍需インフレにつながり、軍部ですら手に負えなくなる、として反対し、通貨の安定を図り、そのために国際協調を主張することで、社会の疲弊をよそに蓄財し富裕な生活をする一方不敬を成している蔵原武介ら金融資本家や産業資本家を暗殺しようと企み、社会を改革するために決起しようとするも密告され、逮捕されるが、本多の弁護と計画を伝えていた鬼頭槙子の偽証により刑を免除される。釈放後、父から、「決行するよりも、決行寸前で挫けたことで、さらに大きな英雄になれ」「そうすれば、今後の活動は一そう容易になり、本当の大規模な維新の際には侮りがたい力になって、そのときは堂々と戦える」と諭され、父の運営する靖献塾が豊原の政策により恩恵を得た資本家からの資金によるものだと教えられる。「僕は幻のために生き、幻をめがけて行動し、幻によって罰せられたわけですね。どうか幻でないものがほしいと思います。」豊原を殺害し自害。

暁の寺」本多はタイに出張。7才のタイの王女ジン・ジャン(月光姫)に会う。清顕、勲のことを知っていた。我及び霊魂が否定されたことが特徴の仏教において「死んで一切が無に帰するとすれば、悪業によって悪趣に堕ち、善業によって善趣に昇るのは、一体何者なのであるか?我がないとすれば、輪廻転生の主体はそもそも何なのであろうか?」インドに観光。ベナレスのガート。聖牛が本多のほうを向いた瞬間、「究極のものを見た」という印象を得た。「無情と見えるものはみな喜悦だった。輪廻転生が信じられているだけでなく、自然の事象にすぎなかった」。「人は交代でこの自然の手助けをするように生まれついている」。

今西康という富裕なドイツ文学者のギャラントリー、柘榴の国。美しい児と醜い児が半々に生まれ、美しい児は「愛される者の国」に隔離され、素晴らしい環境で育てられるが、肉体の美を損うとされる読書は禁止されている。数年すると殺される。美しい人は若いうちに殺してやるのが人間愛。この殺し方に国の芸術家のあらゆる独創性が発揮される。記憶に留められる者と、記憶を留める者と、二種類しかいない。復活を信じない。神はその瞬間に現前すべき。一回性が神の本質。復活した後で前よりも美しくなるなんてことがありえない以上、復活は無意味。記憶が国是。殺人は記憶の純化のため、記憶をもっとも濃密な要素に蒸留するための必須の手続なんです。

戦後、ジン・ジャンが19才になって東京に遊学に来る。本多は富裕になりながらもお金のかからない趣味である覘きがやめられない。ジン・ジャンを覘くと、お隣の久松慶子との同性愛。帰国後コブラに噛まれ死亡。

天人五衰」五衰、羽衣の一節、天人命終の時に現われる五種の衰相。妻梨枝に先立たれ一人清水港で通信士の安永透16才と出会い、養子に迎える。透は縁談をうまく翻弄させ、養父の財産を自由にするべく企むが、養子になった経緯を慶子から聞いて、運命に逆らうべく自殺を図り失明。本多はかつてからのお金のかからない趣味覘きが発覚し公表される。全身の衰えと痛みの来襲で、死を内側から生きる、という感覚上の修練を会得する。必ず滅びへ向う、という条件が等しく、事物と人間との間の堺も失せ、美は幻、何事かを計画しかつ意思しようとする、人間精神の最も邪悪な傾向を失った。

聡子を訪れる。記憶というのは、幻の眼鏡のようなもの。記憶もなければなにもないところへ、自分は来てしまった。

これを書き上げて、三島は市ヶ谷に向かった。